認識の椅子取りゲーム

哲学や思想、批評が難しいのは絶えず自身の発言の正当性や有用性を証明しないといけなくなるので、基本的に否定性を帯びた言い回しになってしまうこと。言葉によってオブゼッションされたことを絶えずオブゼッションし返すというような悪循環を産んでしまうこともある。

 

 

そのような言語的運動、否定弁証法を通して究極の肯定性へと向かうという言い方も出来るけど、大半の人はその過程で精神が捻くれてしまうのではないかと思っている。絶えず問題をあげつらえ、不足な事柄をリストアップするかのように言葉を使ってしまうことになりかねない。

 

自分自身の問題をまるで人類全体の問題のように語り、あなたも私と同じように苦しみなさいというような感じで語る人を信用してはいけないと思っている。

 

 

格闘技を長く見てきた人が格闘技を評論しようと思えばいくらでも複雑に語ることが出来ると思うのだけど、五味選手なんかは格闘技はシンプルなのが良いと言っていた。相手の攻撃をかわして、自分の攻撃を当てる。